アル中病棟 入院記(1):初入院、からの「ガッチャン部屋」へ

03.アル中病棟 入院記

さて、このブログもようやく「アル中病棟 入院記」編に入ることができました。

このブログを始めるときに意識していたのは、初めのエントリーも書いたように、吾妻ひでお氏の傑作マンガ『失踪日記2 アル中病棟』とは異なる角度で、アル中病棟の姿を描きたいというものでした。

繰り返しになりますが、この漫画は本当に面白おかしく、アル中病棟での生活やその実態(いや、「アル中」という人種の”生態”も含めて)について詳細に描かれています。しかし、あまりにもよく描かれているがゆえに、かえって当のアル中にとっては「逆効果」な側面も強いと私は考えています。それは身も蓋もないことをいえば、「こんなロクでもないところには入りたくない」と思わせるところが多々あるからです。

少なくとも、かくいう私にとってはそうでした。本格的なアルコール依存症になったと自分が自覚してからの数年間、私はアル中病棟への入院だけは嫌だと思って節酒・断酒を繰り返していました。しかし、その試みはことごとく挫折してきました(その流れは「入院するまで」編の中でも書いたとおりです)。こんなことならば、もっと早くアル中病棟こと、アルコール依存症専門治療病棟へ入院すべきだったと、いまでは考えています。

入院準備編その1でも、私は次のように書きました。

いっても、約2ヶ月近い共同生活を送る以上、いくらアル中患者どうしでも(いや、だからこそ?)、院内でのトラブルや諍いには事欠かないのですが……。それについては、また機会を改めて書こうとは思いますが、どこにでもありふれているようなことではありますので、あまりこのブログではフォーカスせずに書いていこうと思います。

というのも、そうしたアル中病棟ないしは精神病棟でのトラブルや諍いをいくら(おもしろおかしく脚色して)書いたとしても、「こんな目には会いたくない」と思う人が増えるばかりで、アルコール依存症での入院を必要としている人にとってはかえって逆効果ではないかと個人的に思うからです。むしろ私は、入院はメリットであるとポジティブに思える点を書いていきたいと思っています(以下略)

アル中病棟 入院準備編(1):入院先を探す ― アル中病棟に入院するのは、わずか1%の「恵まれた」人たち
2018年秋、私は人生で初めて、アルコール依存症での入院を決断しました。 ……それでは早速、入院体験記を書き綴っていきたいところなのですが、ここでは入院"中"の話をする前に、入院する"まで"の準備期間(入院探し〜入院待ち)の段階につい...

ここでも書いたように、私がアルコール病棟に入院できたのは、確率的な意味でも(100人中の1人という意味で)本当に「幸運で恵まれ」たことだったと感じています。なのでこのブログでは、私がそう思えたところにできる限り焦点を絞っていきたいと思います。そうすることで、かつての私のように「自分はアルコール依存症かもしれないが、どうしても克服することができない」「もはや最後はアル中病棟に入院するしかないが、やはり躊躇する」と、この病といまも戦い苦しんでいる方に向けて少しでも参考になればと願って、ここからの入院体験記を綴っていきたいと思います。

……と意気込んでみるのですが、最初の第1回は、実に情けない、話すのお恥ずかしい失敗談からです。アル中病棟名物、その名も通称「ガッチャン部屋」にいきなり初日から入った顛末から書いていきたいと思います。

アル中病棟 入院前夜 ― 眠れない夜と最後の大量飲酒

2018年秋。私はアル中病棟への入院日を迎えました。たしか、週明け月曜日のことだったと思います。

私はその前の週にこの病院に初めて外来で訪れ、すぐさま入院の手はずを整えることができました。そこからの約一週間、会社での休業手続きや入院に必要なものを買い揃えるなどの準備を済ませ、私は無事入院の日を迎えました……と本当は言いたかったのです。しかし、現実は違いました。

やはりアルコール依存症というのは恐ろしいものです。アル中というのはいざアル中病棟への入院が決まると、「もうこれが最後だ」と思ってますます酒量を増やしてしまう生き物なのです(これは入院後に聞いたところ、他の人も似たようなものでした)。これでは酒をやめたいんだか、やめたくないんだか、今となっては本当に情けない話ですが……。しかし、これこそが以前にも書いたとおり、本当にアルコールという物質が持つ怖さであり、アルコール依存症特有の「アレルギー(特異反応)」なのでしょう。

私は入院までの一週間、酒量が増えました。しかし、とんでもない量を浴びるほどヤケクソに飲んだ、というわけではありません。むしろ内心は、「これで酒がやめられる」と少しホッとした安堵感と、「もう落ちるところまで落ちた」というホロ苦い挫折感がそれこそカクテルのように入り混じった、いいしれようのない独特な心理状態にありました。ですので、すべき準備だけをしたら、あとはもう酒だけを飲んでじっと一週間をやり過ごしていた、という感じでした。

ただ、それが決定的によくありませんでした。入院前日。病院からは、「入院前日は飲酒せずに来てください」と言われていました。アルコール依存症を治す場所に行くのですから、当然のことです。ですから前回の初外来のときは、私は酒を飲まずに眠ることができました。

しかし、それがこの日に限って一向に眠気が来ません。睡眠薬もいつもより多めに飲み、深夜0時を過ぎましたが、全く眠気が訪れる気配がありません。おそらく、緊張もあったのでしょう。遠足の前に眠れない小学生のような状態です。私は午前3時頃になって、いよいよ焦りはじめました。このままでは明日の入院に間に合わなくなる。入院で病院を訪れるのは、確か昼過ぎの時間帯でしたので、移動時間を考えるともう睡眠時間は5時間ほどしか残っていない。そこで私は、睡眠薬の血中濃度も十分下がっただろうと考え、まだ暗い中自宅を出て、いつものコンビニまでの道を歩きました。本当に入院する日だというのに何をしているんだろうと、惨めな気持ちでいっぱいでした(この道を歩く時は、たいていいつもそんな気持ちでしたが)。

そして私はアルコール濃度9%の酎ハイ缶の500mlを、確か3本だったか4本だったか、少なくとも数本買いました。この量じたいは、私としては別段多いほうとはいえません。しかしこのときの私は、帰宅して一気にそれを飲み干しました。強い酒を一気に飲めば、アルコール血中濃度が急速に上がり、酔いつぶれて寝ることができるというのが、私のいつもの眠り方でした。要は一気飲みで急性アルコール中毒に近いような状態に自分から持っていくのですから、非常に危険な飲み方であり、まさに「酩酊状態」だけを欲するアルコール依存症の典型だったといまでは思えます。

そして私は眠った、というか気を失いました。

翌朝、といっても数時間後、私は何度もセットしたアラームでようやく起きました。まだ当然、体には酒が残っていました。いつになく重くかさばる荷物を詰めたリュックを背負ったら、バランスを崩して思わず自宅の中で何度も倒れてしまいました。立派な二日酔いの状態なのに、自分としてはなんとしてでもアル中病棟に遅れずに行かなければと思っているのですから、いま思えばなんともチグハグな状態としかいいようがありません。

なんとかして家を出た私は、病院へと向かいました。自宅からバスや電車を乗り継いで1時間半程度でしょうか。時間どおりに行動する自信のなかった自分は、だいぶ時間に余裕をとっておいて自宅を出発しました。そのせいもあって、病院の最寄り駅にはだいぶ予定よりも早く到着しました。食欲は全くありませんでしたが、時間を潰すために駅で朝食兼昼食を食べました。何も味がしなかったことを覚えています。離脱症状の吐き気が襲われながら、私は送迎バスに乗り込みました。

入院手続き ― 主治医との初面談、そしてアルコールチェッカー

病院へ到着すると、まずは入院時の主治医との初面談となります。これは前回訪れたときも説明は受けていたのですが、そのとき検診された先生は、この病院で非常勤の外来のみを担当している方でした。そのため入院する際には、また別の先生が主治医として担当を務めることになるとのことでした。

もちろんカルテを通して私の状態は伝わってはいるわけですが、いくつかの質疑応答のやり取りを交わして、私は先週と同じように再びお話ししました。

そしていざ荷物を持ってアル中病棟へ移動しようという段になって、看護師の方が手伝ってくれようと私の荷物を掴もうと近づいたその時でした。

「あれ、ちょっと臭うわね」

ギクリ、としました。そして何度か口元を嗅がれたあと、やはり酒臭がするということで、早速、呼気タイプのアルコールチェッカーで血中濃度を測ることになりました。私はそこで正直に、「昨夜は全く眠ることができず、眠る前に酎ハイを数本飲んだ」ということを話しました。

アルコールチェッカーの結果、先生や看護師の方たちはにわかに驚いていました。あまり記憶が定かではありませんが、「50?」「そんなに(高いの)?」という会話が飛び交っていたと思います。おそらくですが、呼気中アルコール濃度が 0.50mg/l という意味なのでしょう。2018年現在、0.15mg以上の酒気帯び運転で免許停止、0.25以上で一発取消ですから、0.50というのは完全に泥酔に近い状態だったと思われます。確かに、まだ大量に飲んでから12時間も経っていませんし、事実として朝にフラついて倒れていますから、自分としてはさもありなんという数字でした。しかし、よくぞそんな泥酔に近い状態で一人で病院まで来て、いけしゃあしゃあと普通に検診を受けていたな、という意味で先生方は驚いていたのだと思います。「普通なら酩酊状態で立っていられないほどの数字なんだけど」とも言われました。

とはいえ、アルコール依存症というのは酩酊状態にあまりにも慣れています。特に私の場合は、酒を飲んで暴れる(感情のコントロールが利かなくなる)ということはなく、むしろ酒を飲んでいるときのほうが、コンビニや飲食店などでの店員さんとの応対が実に丁寧かつ礼儀正しくなる傾向にありました。おそらく他人に酔っていることを気取られないために、自分がいつのまにか身につけた防衛反応(ステルス技)の一種なのだと思います。いや、実際には単に酔っ払っていて、ロボットのようなコミュニケーションしか取れていなかっただけかもしれませんが……。

かくして私は、入院初日、無事にアル中病棟へと入るわけにはいかなくなりました。最初、酒の臭いがして私が昨晩飲んだことを正直に伝えた段階では、「マスクをして病棟に入る」という対策も検討されていたようです。しかし、いざアルコールチェッカーで濃度が高いと分かると、話はにわかに違ってきました。看護師の方たちは、「あそこは空いていたっけ?」とドタバタとどこかと電話をしたり、ロッカーの準備などを始めています。

そして酒が抜ける翌日まで、私は通称「ガッチャン部屋」こと、隔離病室へと入れられることになったのです。(続く)

アル中病棟 入院記(2):初めての夜は、「ガッチャン部屋」で
ガッチャン部屋。誰がそう呼び始めたのは定かではありませんが、おそらく日本人であれば――つまり、日本語に特に多いと言われる「擬音語」や「擬態語」の意味合いやニュアンスを理解できる人であれば――一発でその意味が分かる言葉です。そう、ガチャンと鍵...

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